-About me

Aimer, ce n’est pas se regarder l’un l’autre, c’est regarder ensemble dans la même direction.

こんにちは!
山梨市に住んでおります猪狩(いがり)俊と申します。

珍しい苗字だとよく言われますが、
出身は福島県の海沿いにある広野町で、故郷では意外とメジャーな名字です。

私が山梨に来たきっかけは、ちょうど9年前の3月…東日本大震災でした。

津波によって故郷の広野町は線路の向こう側が丸ごと飲み込まれましたが、幸いなことに、私は家族も家も無事でした。ただ、実家は原発から30km圏内で、自宅に住み続けるのは困難な状況となりました。町の避難所で原発が爆発する映像を見て、遠くへと避難しました。避難当初は本当に食べ物が少なくて…何日か経って温かいかけそばを食べることができ時は、本当に心に沁みました…

帰る家もなく困っていた私達家族を救ってくれたのが、それまで一度も行ったことがなかった山梨県の皆さんでした。温泉と、ほうとうと、夜遅くに笑顔で迎えてくださった皆さんの笑顔の温かさは今でも忘れることができません。

発災後、国は様々な支援を実施してくれましたが、それが私達家族のもとまで届くのは発災から数週間後、数ヶ月後のことです。当時、私の一番下の妹はまだ小学六年生で、4月からの学校の継続の問題がありました。また、生まれつき体が弱く、落ち着ける環境がすぐに必要でした。

災害による直接的な被害は免れても、行き場の無い数週間の間、精神的にも肉体的にも困憊し、様々な生活上の困難が生じます。制度では対応できないその穴を埋めて、私たち家族に「ふだんのくらしのしあわせ」を与えてくれたのが山梨県の皆さん、そして社会福祉協議会でした。安心して眠れる家、学校、食べ物、毎日顔を見に来てくれる地域のボランティアさんがいて、安心して暮らせる毎日が戻ってきました。

その後、私も社会福祉協議会の職員として働き始め、今に至ります。ご縁があって、2年前より日本ファンドレイジング協会の准認定ファンドレイザーとして、『応援しあう社会をつくる』ための活動も始めました。また、同協会全国福祉チャプターの事務局として『お金がないで諦めない福祉の実現』のための活動もしております。

社会福祉協議会の職員として、また、ファンドレイザーとして活動する中で、当時、私が全く知らなかったところで、たくさんの方々が私達の生活を支えてくださっていたことを知りました。そういった方々にお会いした際に感謝を伝えると、皆さんが決まって仰るのが、「その感謝の想いを次の困っている人達に届けてほしい。」ということです…

そんな折、『西野亮廣山梨講演会』のスタッフとして参加した際に古屋明人さんに出会い、プペルバスin山梨のメンバーとして、主にホームページ作成等の広報活動や福祉団体とのつなぎ、開催当日のボランティアスタッフ等として裏方支援をして参りました。プペルバスin山梨は大成功を収め、たくさんの子ども達に笑顔を届けることができました。

今、コロナウイルスによって社会に様々な歪みが生じています…9年前の私達家族のように制度の狭間に落ちてしまう人達が存在します。

私は山梨県の皆さまに助けていただき、今の生活ができております。感謝の気持ちを行動に移す機会が来たと感じています。たくさんのご縁があって、山梨プペルをはじめ、様々な取り組みを行うことができていることを心より嬉しく感じております。

私は私にできることを担っていきます。皆さまには皆さまにできる形でのご支援ご協力をお願いしたいです。責任をもって、皆さまの応援する気持ちにお応えいたします。

令和2年10月吉日 猪狩俊

- 感謝をこめて